子どもに対する父親の存在

2023.05.29

長野県でおこった”たてこもり”事件。

長く教育に関わってきた私からすると、

子どもに対する父親の影響に考えが及ぶ。

(以下の論は、長野の事件とは無関係)

これまで、多くの不登校生と出会い、

『社会的地位の高い父』の息子という例が

少なからずあり、類似傾向を感じた。

もちろん、不登校ではない生徒たちとも

多く(おそらく3000以上)関わってきて、

社会的地位の高い家に生まれた優秀な子も

数多くいたので、そこはお間違えなきよう。

話を戻そう。

『社会的地位の高い父』を仮に『地位高父』と呼ぶ。

地位高父に対して、息子(男子に限る)の思いは、

誇らしい、尊敬する、というのが一般的。

しかし、時に

「越えられない存在」「認めて欲しい存在」

となり、それが息子にプレッシャーとなる。

ある精神科医と、そんな話題をした場合に

「自家を放火したり、家庭内事件を起こすのは、そういう子」

と言われたことがある。

子どもはプライドが高く、自らの存在を認めて欲しい

特に小学3年生くらいから、そういった思いが生まれる。

その時に、厳しく、近寄りがたい地位高父であった場合、

父から期待され、それを叶えられない子どもは、

少し屈折した思いを持つのではないだろうか?

これまで、私は

『父親が中学受験の子の学習指導はしない方が良い』

と言い続けてきた。なぜなら、まさに小学校高学年で

『越えられない父の存在』を感じるからである。

幸いにも、第一志望校に合格すればよい。

ただ、進学塾などでは第一志望校を下げられることが多く

(元々の第一志望校を”チャレンジ校”と位置付け、

 不合格でもヨシとするように設定される)

それを父親が否定的にとらえてしまうと、あまり良くない。

父と息子。なかなか難しい。

べき論を語るのは簡単だが、万人共通の正解はない。

正解である必要もない。

個別に、子どもの性格や父親のタイプによる。

人間、万事塞翁が馬 でもある。

個別指導に長くかかわってきたから言うわけではないが

個別に、しかも無理のないように、子どもへの接し方を考えるべきか。

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