2023.02.18
もちろん、目標があろうがなかろうが、生活のためには働かなければいけません。
しかし、神経を麻痺させてまで、自分を切り売りしているのは、普通はとてもきついことです。
しかし「麻痺」してしまうと、気持ちよくはないけれど、痛みも感じなくなるのです。
私はカウンセリングしながら、このケースは「麻痺」なのか、「壊死」なのかということ よく考えます。
まだ、神経が麻痺しているだけなら、環境が変われば、人間とは何か、人にとって大事なこととは何かを考えていけます。
それは自分の人生にとって、大切なことと思うのです。
例えば、私の会社の新人がカウンセラーにかかってきた電話を受けたものの、伝言メモを回すのが遅くなったとします。
普通の会社であれば、「うっかり伝え忘れていました。すみません」ですむ話なのかもしれません。
しかし、自殺しようか迷っているクライアントがカウンセラーと話がしたくて連絡してきた場合、伝言メモを渡すのが1時間遅れた間に、クライアントが命を絶つこともあります。
新入社員には、最初に「うちは緊急病棟のような集中力と、人の命がかかっているという社会的責任を持ってもらわないといけない」と言います。
たとえ何万分の1の確率であっても、そこに人の命がかかっていると知っている人が電話をとるのと、「自分は他部署なのに、何で電話をとらなきゃいけないんだよ」と思いながら、 電話をとるのとでは全く話が違うからです。
そう話すと、麻痺している人には「ああ、そうなんだ」と響きます。
「自分の電話応対に は人の命がかかっている。大切なことなんだ」とやりがいに思うのです。
一方では「言われている意味がわからない。じゃあ、私たちに電話をとらせなければいいんじゃないですか」という人もいます。
これが「麻痺」と「壊死」との大きな違いです。
神経の組織が死んでしまうと、再生しないものだと考えてください。
神経が壊死している 人には、どんなに説明しても、ものごとの本質が伝わっていかないのです。
そして、壊死している人に、本質を求めても、本人にとっては苦痛なだけなのです。
新人社員には、「あなたたちがどれだけ素晴らしい技術を持っていようとも、技術で仕事 をしていると思ったら、間違いだ」と言っています。
私の会社の場合、試用期間中にお金よりも大事な信用や情報を預かるに値する人間かどうかを見ているのであって、技術だけを見ているのではありません。
麻痺している人なら、少しずつ血が通ってくるので、「自分の仕事は、お金では買えない信頼を扱っている。そんなふうに言ってもらえるなら、やり甲斐があります」と言います。
しかし、壊死してしまった人は、人間らしい交流が起こっても反応できないのです。