2023.03.07
今回は「存在意義」が欠けている場合について、お話ししましょう。
実は最近、「存在意義」が欠けている人は少なくありません。
「存在意義」とは、いったい何かというと、「生きていく喜び」です。あなたが生きていく上で、楽しいときはどんなときかということです。
もちろん、日々の生活だけでなく、勉強や部活に関してでもいいのです。
あなたが学校に行っていて、楽しいときは、どんなときでしょう か?
こういった質問をすると、人それぞれにさまざまな答えが返ってきます。
「お母さんや監督に「頑張った」と言ってもらったとき」
「試合を終えて、仲間と打ち上げに行く瞬間だな」
このように、「存在意義」は、人が生きていく上での喜びと繋がっているのです。
こういったことをきちんと自分で意識化できている人は、自分自身のベースがものすごく強いです。
この「意識化」とは、自分で言葉にしたりして、意識できている状態をさします。
とあるメーカーに勤務する男性は「商品を作っていく過程でたくさんの人たちと協力しな がら進めていって、思い描いた形で商品ができあがった瞬間」がすごくうれしいそうです。
この人の場合は、ものを作り上げていく喜びや、達成感が「存在意義」になっているのです。
画家の人にも同じことを聞いてみたところ、「自分が「これだ」と思ったものが形になっ た瞬間かな」と言いました。
彼の心のなかでは、描きたい絵がすでに完成しているのですが、そのイメージに技術がついていかなくて、思い描いた通りの色を出すのに、何週間もかかるのです。
でも、思った色 が出て、それがすべてと混じり合って、ひとつの絵になったときに、ものすごく感動するそ
世の中が作品を認めてくれるのは、もちろんうれしいことだけど、自分のなかでは、作品が完成したときに達成しきっているのです。
これは大切なポイントで、「存在意義」が人に評価されることに繋がっている人は、人次第になるので、当然ブレます。 この人の場合は、自分にとって、いいものができればいいという、自分のなかで完結する「存在意義」なのです。
トップアスリートの場合も例外ではなく、自分のなかで最高のパフォーマンスができれば いいという人も少なないのです。