2023.03.08
「存在意義」には、自分自身でコントロールできる、自分の内側から湧き上がってくるものと、人からの評価に左右されるものがあります。
かつて私は阪神大震災のときに、カウンセラーとしてボランティアで現地の人たちの心の ケアを行っていました。
当時、カウンセリングの勉強をしているアシスタントは、「現地の人たちの笑顔が見たいから行きたい」と言いました。
しかし、この場合、現地の人たちの笑顔は見られるとは限らないのです。
震災で家族を失って、短時間、話をしたぐらいでは笑顔になれるはずがありません。
泣いてくれたらまだいいほうで、ほとんどの人は言葉にすらならない状態です。
そのなかで、カウンセラーとして、現場に居続けるその気持ちとは何か――。
私が現地に通い続けられた理由は、「行かずにはいられない」と思ったからです。
もちろん、 人の役に立てればいいと思うし、人を助けたい気持ちもあります。
不安などいろいろな気持 ちが入り混じりながらも、「行かずにはいられない」のです。
だから、「相手を笑顔にしてみせる」とは、思っていません。
自分の持っているカウンセリング技法で、現地の人たちの話を聞いて、その気持ちを受け止めます。
笑顔にはならないけれど、「今晩ぐらいはゆっくり寝られそう」と言ってくれたら、それはそれでうれしい。
でも、それをめざして行っているわけでもないのです。私の場合は、自己完結型の「存在意義」です。
しかし、「現地の人たちの笑顔が見たい」と思って行ったアシスタントの場合は、彼らの 笑顔が見られなくてがっかりし、「こんなボランティアには、意味がないんじゃないですか」と言い出します。
でも、意味は自分が決めるもので、相手が決めるものではありません。
だから、相手のことをきちんと考えながらも、自分次第の「存在意義」を持つことが大切なのです。