共感と同意の違い

2023.08.22

受容とともにもう一つ大切なこととして、共感があります。

共感というのは、相手の気持ちを共に感じることです。相手が「辛い」と言った時には、「辛いんだな」と一緒になって感じます。

よく指導者たちがやってしまうのは、「辛いなんて思うから辛いんだ」と言うことです。

そうすると選手は、「この人は調子のいい時は良いけれど、調子の悪い時は受け入れてくれないんだな」と思い、本音を話さなくなります。

例えば、大きな試合のシーンでは選手たちによくこう言います。

「こんなに大きな試合会場だもの、緊張するよね。ドキドキしちゃうよね。私だったら 逃げ出したくなるよね」と。

選手たちは、なかなか自分の口からは緊張してるとか、辛いとか言うことはできません。

でも、選手たちの態度や振る舞い、硬くなった体からはそういった状態が伝わってくるので、そこに共感して、先に少し言葉で言ってみます。

メンタルトレーナーは選手ではないので、部外者としての独り言、という程度です。

そうすると、選手が「そうですね」とか「ああもう、試合嫌ですよ」というように、 少しだけ言葉として吐き出すことができます。

そのような言葉を口に出すことを嫌がる指導者もいますが、私はむしろ言葉にして吐き出した方が絶対良いと考えます。

なぜならば、感情のマネジメントのところでも述べ たように、言葉にして吐き出さない選手はそれが身体の緊張として表れるため、硬くなり、ミスにつながってしまうのです。

自分が緊張していることや辛いことに向き合えない人は、体に反応が出やすくなります。

また、いつもと環境が違うと、さらに変な緊張の仕方をしたりします。

そのため、まずメンタルトレーナーが相手の感情を共に感じてあげることが大切です。

「共感」と似た言葉に「同意」がありますが、 一体どう違うのでしょうか?

例えば、私は野球が好きで、相手の人はサッカーが好きだとします。

そして相手の人が、「サッカーって本当に楽しくてワクワクするんですよ。見ているうちに興奮して、思わず叫んでしまいます」と言ったとします。

しかし、私がサッカーのことをよくわからなければ同意できず、「私はサッカーには 興味ないんです」で終わってしまいます。あるいは、どうしても同意しなければいけないならば、「私もサッカーが好きです」 というように実際とは違うことを言ってしまう ことになります。

ところが、相手と価値観が違っていても、例えば同じスポーツが好きではなくても、共感なら十分できるのです。

「へえ、あなたはサッカーで興奮して叫んだりするのですね。私は野球が大好きで、この間、
○○投手がノーヒットノーランを達成した時には、テレビの前で飛び上がって叫びましたよ。やっぱりスポーツっていいですよね」というかたちで共感できます。

また、相手がもし「辛くてもう死んでしまいたい!」と言った時に同意をするなら、

「私も同じ、死にたい!」ということになってしまいます。

ところが、共感は違います。

「なるほど、死んでしまいたいくら なたは辛いんだね」 これであれば、価値観の違う相手でも、相手がどんなメンタリティでも必ず共感することができるのです。

人と人との信頼関係は、状況や人生の成功に基づくのではなくて、本当の意味でお互いが共感し合えた時に築かれるのではないでしょうか。

共感とは、弱っている感情を受け止めるだけではありません。

お互いがめざしているものもすべてをひっくるめて、共にリスペクトし合いながら相手の心に共感できれば、今までにない深い信頼関係ができるに違いありません。

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