2023.09.26
病院に、がんの手術の術式や、その後の抗がん剤治療のことなどのお話を聞きに行くことになりました。
家族も一緒に聞いてほしいという医師からの要望によって、私はその同席者を、夫と弟夫婦に依頼しました。
母は心配性過ぎるので、大丈夫だよ、と笑って遠慮してもらいました。
弟は私と違って冷静な思考を持つエンジニア。
そしてありがたいことに義妹もついてきてくれました。やはり乳がんなので、女性がいてくれたら少し安心できますよね。
家族を交えて聞いた、症状と今後の治療の方針というのは、実は結構大切なポイントになると思うのです。
私たちはとにかく医療については全くの素人です。出てくる 感情は、どうしても「不安」、「怖い」、「大丈夫かしら」。
だけど、客観的に冷静にお医者様の話を聞けるかどうか、そして適切な判断ができるかどうかということはとても重要なポイントです。
そのうえで、いい大人になってもやはり、家族が自分の治療の説明を聞かなければいけないということに、多少の違和感がありました。
もちろん、万が一、亡くなったときに遺族からの訴えなどを避けるために、病院の同意書などでも家族のサインもあるようですが、本人の意思が、なぜか置いていかれ るような気になりました。
だって、自分の身体、自分の命ですから。これからお一人様も増えていく中で、自分の治療方針や自分自身の考えについてはしっかりと自分が決めていきたいと思っています。
乳がんの手術は1週間に1回、そして今からそれを申し込むとなると、3か月後以降になるということでした。そこで私は少しパニックになりました。
「もっと早く手術をしなくても大丈夫なんですか?」
一瞬、ほかの病院を探そうかと思いました。
けれど、医師は「ほかの病院を探してもそれより早くはなりませんよ」と言われるので、この不安を抱えたままどうしようもないのかな、それとも3か月以降で本当に大丈夫なのかな、と感じました。
その後は点滴による抗がん剤治療が始まるとのこと。
手術よりもたいへんだという抗がん剤治療、私にとってはこれが何よりも恐怖でした。
がんのサバイバーの人たちに聞いても、手術そのものよりも抗がん剤治療が何よりもつらい、苦しかったという話をよく聞くからです。
私はとにかく仕事を辞めるので はなく、細々とでもいいので続けたい。
可能ならば完全に休むのではなく1週間に1回でも、1時間でもいいので、仕事をやり続けていたい。そこに関わっていきたいということを医師にお話ししました。
すると担当の医師は、「そんなの無理無理。もうね、抗がん剤治療っていうのはね、
ずっと寝たきりなの。ずっと寝たきりで枕元にバケツを置いて気分が悪くなったら吐くそしてまた寝たきりなのよ。 仕事なんかできるわけない」と言われました。
ええーっ!!
私の中でそこで一気に気持ちが弾けたのを覚えています。
「そんなだったら私、抗 がん剤治療やりません」と、つい口をついて、自分の気持ちが出てしまいました。
怖かったからというよりも、大好きな大好きな仕事が全然できない。
もっといろいろな可能性のある議論はできないのか。治療というのは議論すらできないのか。そんなことが頭の中に次々と浮かんできました。
そこが私にとっては、まったく納得のいかないところでした。
医師は、「うちはこ のやり方なので」ということを、とにかく押し通すだけです。
抗がん剤治療をしませんと言ったときに冷静な弟が、「お姉ちゃん早まるな」と私をちゃんといさめてくれたのは、とてもありがたかったし、思わず笑ってしまいました。
やっぱり冷静な人がいてくれてよかったなと思いました。
そしてもう一つ気になったのは、術後のこと。
当然乳房すべてを取り除く手術をするわけですが、まず聞かれたのは、「温泉とか入りますか?」とか「ゴルフのあと、 お風呂に皆で入ったりしますか?」と聞かれるのですね。
私はちょっと混乱してし まって、「温泉は好きですけれど、なければ生きていけないというわけではないです」 と答えるのが精一杯。
それはそうですよね。だけどそのときは、何のことを言っているのか、全くわかりませんでした。
つまり、乳がんの手術というのは胸をばっくりと切るわけですから、大きな傷跡が残ります。
そして胸が片方だけぺしゃんこになってしまいます。そういう状態なので、 大衆浴場、温泉やゴルフ場のお風呂などには行けなくなるので、それでもいいですか?という質問だったのです。
私はまたまた聞いてみました。「でもたとえば、乳房再建の手術とか、そういったのもありますよね? またその手術後に再建の手術ができれば、温泉などにもまた入ることもできるんですよね?」。
けれど、私と同じ50代の女性であったその医師は、「今さらこの年でそういうのっていります?私ももう50代だけど別にそういうのっていらないなって思うんですよね」と。
女医であるその先生は、客観的に自分の立場から、私を慰める気持ちでそうおっしゃったのだと思いますが、私はその言葉を聞いた瞬間、ほかのお医者様を探そうと決心しました。
まるで大きな病院というベルトコンベアーに乗せられて、手術室の中に入っていき、その後は抗がん剤治療というところをグルグル回りながら治療を受ける。
自分の中で 納得がいこうがいまいが、がんなんだからしょうがない、命が助かるためだったら しょうがないというふうに自分を押し殺す。
大好きな仕事も休み、何もできないまま ここに乗っかっていくのだ、と思いました。
もちろん進行形の病気であり、やがては放っておけば死に至るわけですから、治療ややるべきことは全力でやる必要があります。
けれども、治療方針に患者の思いも生活スタイルも押し込められていくようなことに、大きな違和感を感じました。
少しでも何か自分にできることがあれば、他の方法も探してみてもいいのではないか、という思いがふつふつと湧いてきました。まだやれることがあるかもしれない。
私はセカンドオピニオンのお医者様を探すことを決心しました。